基山町のオススメカフェ、エクラリッシュで美味しいコーヒーを飲んでいると…
おや?窓の外に、何やら鳥居らしきもがあるではないですか。
しかも、大きな杉の木も一緒に並んでいる。
そういえば、近くの交差点の信号機に伊勢前と案内板があったし…
もしやこれは伊勢神宮の分霊…!?
さっそく歩いていってみました!
目次
樹齢140年の入り口
おおぉ、予想的中!!
伊勢山神社と書かれています。
横には明治12年から植えられた御神木の楠がありました。
1879年、つまり樹齢140年。
不届き者は通さない!
この杉の木の石碑らしく、明治初期に植えられたようです。
石碑の上には門番が睨みをきかせていました…カマッ!!
ここを登っていきます。
階段を2つ登った景色。もう1つ登れば境内です。
境内からの景色はなかなかのもの。
ただ、ここに来るまで傾斜がきつく、手すりを使わないと年配の方は危険です。
夏場は蚊や虫も多いので、苦手な方は虫除けスプレーを使うと良いと思います。
神聖なる境内
伊勢山神社の由来
神社や仏閣に来ると、ついつい由来が知りたくなるタチです。
石碑があったのでさっそく読んでみました。
伊勢山神社の由来
祭神 天照皇大神 萬幡姫命 手力雄命
伊勢山神社創建については人皇代㐧六十二代村上天皇の天暦九年(九五五)十一月時の県主が伊勢神宮の分霊を勧請したものと伝えられる 後荒穂宮の五所宮の一として荒穂宮より神饌を奉っていた 後世この地が対馬島主宗氏の所領となり当社を領地の鬼門鎮守神と仰ぎ別に神職を置いて奉仕させ且つ神宮の大麻を領布せしめていたが伊勢神宮より大麻を領布するようになると領内領布の総元と定めたれたこれより伊勢山神社の称が起こった明治六年村社に列せられたが祭事は古来通り神課二十人にて行うことになった境内に埴安社(祭神 埴安彦命)を祭る
古より御神期と称し六十年毎に大祭二十年五智に小祭が行われている 大祭は近くは弘化四年(一八四七)明治四十年 昭和四十二年であった 古の御神期の神事に当たる者は七日間家に帰らず神社に泊り込みで水垢離をとり身を清めて奉仕したという
伝説によれば光格天皇の天明年間に大飢饉が続いた上に眼病が流行し住民が困窮していたとき当社の一番下の石段の東側にあった榆の古木の虚になっている中から滴り落ちている清水が眼病に効験があるとの噂が広がりその霊水を頂きに筑後筑前はもとより肥後あたりからまでも参拝者があり社頭は大いに賑わったという その神木は生け垣で囲んであったが今は枯れてなくなりその跡に楠が植えてある一千年の歳月に御神体も表裏の識別もできないまでに風化していたので昭和九年鳥栖町の堀彫刻師に依頼して新たに刻み筑紫神官により御神入れを行った この御神体に紀元二千五百九十五年と刻み後世に遺した
昭和十九年時の町長天本龍之助氏の仲介により伊勢山神社の資産とともに祭事一切を小倉区に移管した
昭和四十七年四月九州自動車道建設に伴い社地の一部がその用地として買収されたので神殿は古来の神明造りのままとし西側に移転新築して現在に至る境内由緒碑
アクセス
JR鹿児島本線 基山駅より徒歩15分
一般車道に4台ほど駐車スペースあり。
エクラリッシュにお越しの際はお参りしてみてくださいね。
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